ギルフォード博士の未亡人(Mrs.Guilford)が,
かつてまとめた略歴から,まずご覧ください。
  
ルース・B.ギルフォード編
千  葉  晃 訳

 家 族
誕生:1897年3月7日
父 エドウィン・オーガスタス・ギルフォード
母 アーヴィラ・モンロー
結婚:1927年
妻 ルース・シェリダン・バーク
子 ジョアン・シェリダン・ギルフォード

学 歴
高等学校:ネブラスカ州オーロラで,1914年に
首席総代で卒業
大学学位:ネブラスカ大学文学士 1922年
ネブラスカ大学文学修士 1924年
コーネル大学哲学博士 1927年      
名誉学位:ネブラスカ大学法学博士 1952年
南カリフォルニア大学理学博士 1962年

職 歴
イリノイ大学心理学講師 1926年−27年
カンザス大学心理学助教授 1927年−28年
ネブラスカ大学心理学助教授 1928年−32年
ネブラスカ大学心理学教授 1932年−40年
ネブラスカ大学教授調査局長兼務 1938年−40年
南カリフォルニア大学心理学教授 1940年−70年
(1942年3月−45年11月軍籍のため大学を離る)
ノースウェスタン大学の心理学客員教授 1935年

軍 籍
第1次世界大戦 1918年秋 兵卒          
第2次世界大戦 少佐で入隊,大佐で除隊
サンターナ空軍基地心理学研究第3班長1942年−1943年
テキサス州フォートワース空軍訓練指令
本部実地研究班長 1943年−1944年      
サンターナ空軍基地航空士官本部心理学
研究第2班長 1944年−1945年
テキサス州ランドルフ・フィールド陸軍
航空隊航空医学校記録分析部長 1945年
1946年1月 退役
1946年 勲功章叙勲

学 会
アメリカ科学振興協会
アメリカ科学者主要特別会員
全米心理学会
第2,3,5,10,15部門協議会員 1940−43年
全米心理学会
全国研究協議会代表 1941−44年        
全米心理学会                  
相互社会色彩協議会代議員 1937−47年
全米心理学会
第5(評価と測定)部門議長 1947−48年
全米心理学会
会長 1949−50年
全米心理学会
第10(美学)部門議長 1956−57年
カリフォルニア色彩学会員 1948−49年
専門・産業心理学アメリカ委員会免許
中西部心理学会事務局長 1937−39年
中西部心理学会会長 1939年−40年
精神測定学会会長 1938年−39年
西部心理学会会長 1946年−47年
実験心理学者学会会員
マルチバリエイト実験心理学者学会会員
全米科学アカデミー会員 1954年選出
知能教育国際学会会長 1977−87年
 
研究助成金
海軍研究局 毎年更新による契約:1949−69年
そのほかに,米空軍,全国科学基金,保健・教育・福祉省などからの助成金

国際会議                   
因子分析会議 国立科学研究所主催 パリ(フランス) 1955年
軍隊心理学会議 NATO本部主催 パリ(フランス) 1960年
意志決定と年齢に関する会議 NATO後援 テッサロニキ(ギリシャ) 1967年
心理学理論に関する第3回バンフ会議 NATO後援 バンフ(カナダ・アルバータ州)
1972年
知能教育学会年次大会記念講演 京都(日本) 1977年
 
特別講義
ウォルター・V.ビンガム記念講演 於・スタンフォード大学 1959年4月
著名学者による訪問講演 於・教育検査局 プリンストン(ニュージャージー州)
1968年4月
著名学者による訪問講演 於・心理学理論高等研究所 アルバータ大学 1970年 9月   

名誉章(表彰) 注: 表彰状・楯等に関しては「当研究所の所蔵品」をご覧ください。
南カリフォルニア大学から
「創造的科学の貢献に対する賞」授与 1961年
全米心理学会より
「顕著な心理学上の貢献賞」授与 1964年
全米心理学会より
「リチャードソン創造力賞」授与 1966年
創造性教育財団より 「創設者メダル」授与 1970年
教育検査局より 「測定功労賞」授与 1974年  
全米心理学学会の第15(教育心理学)部門より
「エドワード・リー・ソーンダイク賞」授与 1975年
英才学会より「英才教育の分野への顕著な貢献賞」授与 1981年
英才児全国協会より 「著名学者の賞」授与 1981年
英才カリフォルニア協会より「ルース・A.マーテンソン前会長記念賞」授与 1983年
全米心理学財団から「金メダル」授与 1983年
アジア協会より「記念額」授与 1983年
著 作 注: 著作一覧に関しては,「当研究所の所蔵品」の項をお開きください。
主 著
『Psychometric』
(精神測定法) 1939年,1954年刊
『General Psychology』
(心理学概論) 1939年,1952年刊
『Fundamental Statistics in Psychology and Education』
(心理学と教育における基礎的統計学) 1942年,1950年,1956年,1965年,1973年,1978年刊
『Personality』(人格) 1959年刊
『The Nature of Human Intelligence』
(人間の知能の性質) 1967年刊
『Intelligence,Creativity,and their Educational Implication』 
(知能,創造性とその教育的意義) 1968年刊
『The Analysis of Intelligence』
(知能の分析) 1971年刊
『Way Beyond the IQ: Guide to improving intelligence and creativity 』
(IQを越超越するために−知能と創造力を増進させるためのガイド) 1977年刊
『Cognitive Psychology with a Frame of Reference』
(準拠枠を伴う認知心理学) 1978年
『Creative Talents: Their nature, uses, and development 』
(創造的才能:その性質と活用と発達) 1986年。
研究資料集と論文:約300篇
各種検査法:30種以上
 
名誉会員
フィー・ベータ・カッパ
シグマXI
フィー・カッパ・フィー
フィー・デルタ・カッパ
ピシー・キー
フィー・シグマ
ブルー・キー
訳注:上記のどれもが,成績優秀な学生で組織されている会や有名な科学の組織で会員に選ばれることが極めて名誉な会として知られている名称のものである。
   
社会市民活動
パイ・カッパ・アルファ
ロスアンゼルス公会堂

趣 味
園芸・ カラー写真

没 年
1987年11月26日 享年90歳
 
 


ギルフォード博士評伝

ギルフォード博士を評する記事のひとつとして,1985年の当研究所の設立の年に開催の「第4回知能教育国際学会=東京大会」でおこなわれた,シドニー・パーンズ博士のスピーチを掲載しますので,ご覧ください。

シドニー・パーンズ(創造性教育財団会長)
清  水  驍 訳

 日本に初めて参りまして,特にこのISIE(知能教育国際学会)の大会に出席できましたことは,私の喜びであります。私は千葉先生の求めに応じて,ギルフォード博士がどんな人であるかについて,一言述べたいと思います。
 千葉先生からギルフォード博士の思い出,ことにその人柄と業績について話すように依頼されました時に,私が思い出したのは,2つの特に意味の深い出来事でした。

創造性教育における貢献

 第1の出来事は,1970年の6月のことでした。私は,ギルフォード博士とネルソン・ロックフェラー,ニューヨーク州知事の隣に立っていることを誇らしく思いました。次の深い洞察に富んだやりとりは,ギルフォード博士に創造性教育財団の創設者メダルが贈られた時に起こりました。ロックフェラー知事は次のように言いました。「私は一言お話する機会を頂きたいと存じます。第1に知事としてこのメダルをギルフォード博士にプレゼントする行事に参加することができたことは,どんなにうれしいかを申し上げたいためです。私の考えでは,創造ということ,創造性の教育,創造の関係など,人間が持っている優秀性についての全体的な概念は,世界の中で非常に現実的であって,この世界がどんどん機械的になっていく時,また人々が政府や社会から阻害されていると感じている時に特に必要なのです。創造と理解力を重要視することと意識の拡大に関するすべての問題は,私にとって貴重な機会であり,また世界歴史のこの瞬間において,非常に重要な人生の価値を示した人に賞を贈ることは,私の大きな喜びとするところです。ギルフォード博士,おめでとうございます。この賞をあなたに手渡すことは私の大きな喜びであります」。
ギルフォード博士はそれに答えました。「ロックフェラー知事,私がこの受賞にどのくらい感謝しているか,言い表すことはできません。私の人生において,私は創造力に関する研究に関連して多くの報償を得ました。例えばこのバッファロー大学に毎年招かれ,創造の教育の種を蒔きました」と,まず彼は私たちの創造的問題解決研究所について述べました。そして,「これは重大な賞です。そしてまた皆さんがこのように時間をさいてくださり,授賞式をしてくださるのは,錦上<本日いただいた賞>に花を添えるものであります。このことは皆さんが教育に関心があることを示すものです。そして最もよいしるしは,州立の大学の施設が成長を続けていることです。このことの1つにはバッファロー州立大学が創造性の教育に力を注いできたこと,そして創造の教育を発展させる世界の中心であることを含んでいます。どうもありがとうございました」と,彼は続けました。
 さらにロックフェラー知事は,「これは私の喜びであり,私はこの式に出席できたことが嬉しいのです」という言葉で結びました。
 第2の出来事は,その約5年の後に起こりました。私が,ギルフォード博士の著書である『Way Beyond the IQ』(IQを超越するために)の序文を書いたことでした。この本は私たちの創造性教育財団から過去の10年の間に出版された古典の普及シリーズのうちの最初の本です。これらの本は創造性の研究におけるアメリカの開拓者たちの主要な研究について述べています。
 私はその時,次のように書きました。人間の知能の研究でほんとうに宇宙飛行士のように偉大な開拓者であるJ.P.ギルフォード博士によって,このシリーズが始められたことは誠に適切なことです。彼はこの分野における25年にわたる詳細な,類のない学問的研究の業績の要点を記述しました。この本は,すべての真摯な一般読者のために書かれており,これまでに書かれた本が専門的で技術的なグループの人たちのためのものであったのとは異なっています。
 ギルフォード博士は,1950年に全米心理学会の会長としてのすばらしい講演で,創造性の研究への舞台づくりをしたという事実をここではっきり強調する必要があります。この時の講演の中で,彼は人間の現象の中で最も重要なもの,すなわち創造性についての学問的な関心が足りないことを指摘しています。自分自身の挑戦を受けて,ライフワークとして,人間の知能の詳細な本質,ことにその独自の創造的な面についての研究を始めたのです。“自分自身のIQを超越する方法”を見通すのに興味のあるすべての男,女,子ども,おとなに,知能構造に関して注目させ,大きな寄与をもたらしました。アメリカにおいては,彼の教え子の1人であるメアリー・ミーカー博士の構造的知能,日本では貴学会の爆発的な発展によって,応用範囲が拡大されました。ギルフォード博士の研究は今や私たちの2つの国の何百何千という人々と関係を持つことになりました。その他の世界の国々に対しても,大きな影響を及ぼしていることはいうまでもありません。研究の結果,現在までにおそらく何百万という人が疑いもなく,より創造的な知能を持つように影響を受けているのです。
 ギルフォード博士自身は,自分の考えを数えることのできないほどの聴衆に向かって話されましたが,その中には,1週間にわたる創造的問題解決研究所の集会に広く拡大された分野から参加した各界の推進者も含んでいます。このような人々は彼らの創造的な可能性の前線を越えて発展し,また他の人々が同様に進歩するのを助けました。彼らはことにギルフォード博士の研究を尊重しました。この何年かの間にギルフォード博士は創造性教育財団の目標と業績にいくつかの有意義な方法で貢献しました。すなわち私たちの研究所の指導者として,さらに創造行動ジャーナルの顧問委員会の主要メンバーとして,バッファロー州立大学の創造研究委員会の全国顧問委員会の重要メンバーとして,最も最近では私たちの財団の評議員のメンバーとしてであります。
 ギルフォード博士の明快な知能構造理論を応用して,大学では何年かにわたって広汎な研究を行なった結果,従来の実験的な一連の課程は今や大学の在学生の創造的研究の一部になり,創造的研究の理学修士課程での教科の一部が創造的研究の学際的センターとして確立しました。今ではこれは創造性研究センターと呼ばれています。

ギルフォード博士の経歴のエピソード

 歴史的背景として,ギルフォード博士が今大会のために準備した講演の中で述べていることはすばらしい内容でありますが,私は彼についてあまり知りませんでした。彼が述べなかった興味あることが1つあります。本日の彼自身の講演の前にお話するとおもしろいと思いますので,ご紹介致します。全米心理学会での彼の貴重な講演,つまり通常アメリカでの創造性に関わる科学的研究の時代の始まりと考えられている出来事(訳注:1950年11月5日にペンシルバニア州立大学でおこなわれた,全米心理学会の会長にギルフォード博士が就任する際の記念講演の内容が,以後の創造性研究に多大の影響を及ぼしたという出来事)の前に,ギルフォード博士はネブラスカ大学におられました。次にお見せする写真は,博士が送ってくださったものの1枚で,どこで撮られたのかは知りません。しかし,彼はこの時スケートをはいているのです。ネブラスカでの冬はこのような様子なので,私はここでこの写真を選んだのです。
 ギルフォード博士がネブラスカ大学にいた時,ジャーナリズム学部にロバート・P.クローフォードという同僚がいました。その人の著書である『Techniques of Creative Thinking』(創造的思考の技術)や『How to Think up Ideas』(アイディアを出す方法)は皆さんもご存じかもしれません。クローフォード博士は創造の心理学についてもっと知りたがりました。彼は心理学者としてのギルフォード博士に,心理学の立場からの創造性の思考についてどれだけ知っているかを尋ねました。クローフォード博士は,1940年代,50年代の大分古い時にジャーナリズム学科の応用科学として創造的思考を教えていたのです。ギルフォード博士はこの問に対して答えを持っていないことに気づきました。すなわち,人間の精神のきわめて重要な作用についてはあまり知らなかったのです。すぐその場で,彼は人間の創造性の領域の研究に深く取り組むことを決心しました。それから,今までの有名な文献の検索を始めました。そのうち創造性を取り扱っているものは,1950年以前に発表されたすべての心理学の文献のわずか 0.2パーセント以下に過ぎないことを知りました。何と 0.2パーセント以下なのです。
 ギルフォード博士はその努力においてたゆむことはありませんでした。そして常に未来に対し希望と楽観を発散させていました。ギルフォード夫人は,彼があまりやり過ぎないように努めましたが,効果はありませんでした。ある時,何回かの病院への緊急かつぎこみの中の1回で,彼女は活動をベットと数歩離れた所にある隣の書斎のタイプライターの間に限るようにしなさいと命令しました。カリフォルニアにあるギルフォード博士の家は,ベランダー付きの平屋の家です。彼の研究室の中の書斎は小さい寝室のすぐ隣にあります。
 しかしながら,不幸なことにその命令から数日以内に,彼女は彼が私書箱にいつも来ている手紙を取りに郵便局へ歩いて行くところを見つけたのです。(中略)
 私の個人的な交際は30年に及ぶ豊かなものでありました。他の多くの人と同様に,私は彼の学者としての能力をすばらしく思うだけでなく,驚くべき人間性にも感嘆するのです。1950年代の後半にユタ大学で行なわれた創造性についての全国研究会議で彼と初めて出会ってから,私はこれらの特性を常に彼の中に認めてきました。
 本日のこのスピーチのための準備をしている時に,私は『Who's Who』(紳士録)で彼についての書かれていることを調べました。私は紳士録の中で,政治的には彼が民主党に属することを知りました。彼はアメリカの紳士録の中で自分を民主党員として位置づけています。共和党員と民主党員とは違うのでしょうか。私たちの合衆国ではその区別は長い間にはっきりしなくなってきていますが,歴史的には民主党は“人民の党”でありました。私はイデオロギーの上ではギルフォード博士は民主党員であることを期待するのですが,彼と政治を論じたことはありません。私たちはいっしょにいたことは少なく,またそんな時には創造性について非常に多く話すことがあったので,他のことは何1つ話しませんでした。
 彼は,カリフォルニア州ビバリーヒルズで,映画俳優や,共和党大統領ロナルド・レーガンの隣人とともに住んでおり,普通の人よりも知能がすごく優れているのですが,ギルフォード博士の考えは普通の人にも自然に結びついています。ここに彼がいて皆さんに直接お話できれば,彼が偉大な知能を持つとともに,偉大な人間であることをもっとよく理解できたでしょう。
 では次に,ギルフォード博士の「知能構造探究の遥かなる旅路」(An Odyssey of the SOI Model)という,この大会のために特別に準備された講演をご紹介したいと思います。
『AN ODYSSEY OF THE SOI MODEL−Autobiograhy of Dr.J.P.Guilford』
(ギルフォード教育研究所 1988年刊)より
 
ギルフォード博士の人柄

ギルフォード博士の自叙伝『AN ODYSSEY OF THE SOI MODEL』(1988年刊)を出版する際に編集者の序文として掲載した中に,ギルフォード博士の人柄にもふれたところがありますので,翻訳・転載しておきます。合わせてご覧ください。

千  葉   晃
ギルフォード教育研究所本部所長
知能教育国際学会日本中央本部本部長

 J.P.ギルフォード博士は,人類にとって大きな財産,知能構造論(Stracture-of-Intellect)という実のり多い宝を残しました。私どもの知能教育国際学会(ISIE)にも,多くのものを残されました。
 そのうちの1つは,1985年8月1日に行なわれた第4回ISIE東京国際大会における会長基調講演としての「An Odyssey of the SOI Model」(知能構造探究の遥かなる旅路 )です。
 もう1つは,私どもの要望に応えて書き残した「An Extension of the Autobiography of Joy Paul Guilford」(ジョイ・ポール・ギルフォード自伝の続編)です。これは,1967年の前半頃に出版されたことのある「Autobiography of Joy Poul Guilford」(ジョイ・ポール・ギルフォード自伝)の文字通りの続編として書かれたものです。
 したがいまして,この2編を公にすることが今回の記念出版の目的でありますし,またこれによって歴史的にも意味の大きい出版物が実現できたと言えます。

知能教育国際学会の初代会長になったギルフォード博士の功績

 1977年に結成されましたISIEにとっての国際大会は,1988年の8月1日から4日間開催されるシアトル国際大会で5回目になりますので,これを記念して本書を発行することは,まさにギルフォード博士を追悼するにふさわしいものと言えましょう。この学会が単に10周年を過ぎたということだけではなく,博士が1987年11月26日に他界する日までの10年間ISIEの初代会長だったことは,この組織にとりまして大きな意義と申せます。
 まさしくこの学会は,博士あっての組織として出発したもので,ギルフォード夫人がいみじくも手紙(1988年1月7日付)の中で「知能教育国際学会は夫の生涯において最も重要で意味深いものでありまして,日本へ再び訪問できないほど健康に恵まれなかったことを,夫は非常に残念がっておりました」と書かれた内容が,上記の意味をよく表わしていると言えます。
 そもそもISIEの発足は,ギルフォード博士,M.ミーカー,R.ミーカー両博士の初来日の際(1977年10月13日東京で開催)の日米知能教育会議において,正式に決定されました。しかし,真っ先にこの学会の誕生を予期していたのは,他ならぬギルフォード博士その人だったのです。それは,博士の書簡(1977年8月31日付)に残されていますように,「日米の交流が知能教育国際学会の始まりになるに違いない」と組織の名称まで予想されていたのでした。また,その時の来日記念講演の中でも,「知能教育国際学会を結成する動きもすでに始められましたから,さらにその影響をもっと広範囲に及ぼすことになる」と述べられております。
 以来,翌1978年に第1回ISIEロスアンゼルス大会,第2回は1980年に日本で箱根大会,第3回は1982年に再び米カリフォルニア州でタホ湖大会,第4回は1985年の東京大会として開催され,いずれもギルフォード博士の知能構造理論を基盤とした数多くの研究発表がなされました。
 そして,知能教育における国際交流も,それにつれて徐々に深められてきました。さらに,今回開催されますシアトル大会を契機として,またこのような出版物を媒体として,いよいよ国際親善が活発となり,知能教育の研究と成果が世界の発展と平和のための一助となれば,これに過ぎる喜びはありません。
 また,それを一番強く望まれたのも,ギルフォード博士自身でありましょう。博士はその著作の中でしばしば,次のように述べています。

創造的問題解決能力の必要性を強調したギルフォード博士の人柄

 「知能教育の最も大きな利点は,個々の人間を問題解決に備えさせる,という点です。私たちの生活はどんどん複雑になり,至るところでますます大小さまざまな問題に直面します。問題解決の能力と創造的思考力が,今日ほど必要とされることはありません。国内において最も重要な問題は,経済と政治の問題です。国際的には,いかにして平和を維持すべきかが重要な課題です」。
  『知能教育こそ賢明な教育』 (“Intelligence Education Is Intelligent Education”) ─知能教育の最も広い意義の節から
 このような教育によって,世界の緊張を緩和することも,またもっと多くの男女がより幸福な人間になれることも,今まで以上に実現できるに違いありません。
  『知能教育入門』 (“Way Beyond the IQ”) ─第10章の最後のことばから 
 ギルフォード博士の人柄に関しては,本書の“はじめに”にあります,シドニー・パーンズ博士のことばでかなり知ることができましょう。また,ギルフォード博士の多くの著書のうちで最も平易に知能構造論が一般読者に解説されている『Way Beyond the IQ 』の中に,パーンズ博士の序文があります。これに関してはかつて筆者も,同書の日本語翻訳版である『知能教育入門』(1981年刊)を出版するに際して,訳者のあとがきの中に次のように書いたことがあります。
 発行元の創造性教育財団のシドニー・パーンズ博士による“原著の序文”の中に,著者を紹介したことばがあります。ギルフォード博士の業績や研究の意義,そして人柄について,実に簡潔にして的を射た紹介がなされております。次のことばが,まさにこれを良く証明しています。ギルフォード博士の「学者としての能力には敬服しておりますし,そればかりではなく,驚くべき謙虚な,人情深い博士の人柄にも」まったく敬服せざるを得ないのです。
 人間の精神能力,その最も中核であり高度の能力としての知能について,30年以上も研究し続けてきたギルフォード博士であるからこそ,能力はもちろんのこと,人柄までも最高度に達した,と言えるのではないでしょうか。問題解決のできる知能を持つことは,「知的にも情緒的にもより健全な状態をもたらす」というギルフォード博士のことばを,改めてかみしめなくてはなりません。ギルフォード博士自らが,問題解決と創造性の能力を兼ね備えた,円満な「知能構造」を持った人物である,と評することができましょう。ギルフォード博士について,もう1度,パーンズ博士の“原著の序文”を読んでいただけるのでしたら,これ以上私が述べる必要はありません。
  『知能教育入門』─本書の活用のしかたと解説(終章のまとめと訳者のあとがきに代えて)から 
 このような慈愛あふれるギルフォード博士に対しまして,私どもは一方的に数多くの要望や面倒な依頼をこの10年間お願いしてきました。博士は,それらについてことごとく常に誠心誠意応えられました。時には,1度に多くの,しかも厄介な私の要望に対して懇切丁寧に逐一応えてくださったのですが,1つだけ抜けていたことがあったからと言って,すぐにわざわざ追加の手紙をしたためてくださったこともありました。
 博士は,特にこの5,6年は視力が極度に衰えて何度かの手術を繰り返し,医者にはできるだけ無理な眼の使い方をしないよう,論文の原稿や手紙などの書き物は1日数枚に制限されていたようです。それだけに,私どものために懇切丁寧な手紙を毎回書いてくださったことは,改めて感慨もひとしおで,今なお恐縮に存ずることです。ですから,私どものために博士の貴重な時間をさいたり,また必要以上に博士の手をわずらわせたりしないようにと,特に博士の最後の1,2年には極力こちらからの手紙を控えめにしたほどでした。
 ギルフォード博士のこうした懇切丁寧な書簡をご覧になられた方々ならどなたでも,先ほどのパーンズ博士の「多くの方々と同じように,……驚くべき謙虚な,人情深い博士の人柄にも敬服され」るということばを実感されるにちがいありません。

ギルフォード博士の自叙伝の内容



さて,本書の編成についてもっと触れておく必要があります。すでに述べましたが,パーンズ博士による,簡潔なギルフォード博士評伝を本書の“はじめに”として掲載しました。これは,先にふれました1985年のISIE東京国際大会の会長講演を,同博士が代読する前にギルフォード博士を紹介するために行なわれたスピーチの内容です。それを今回の記念出版に当たってパーンズ博士自らが加筆したものであります。結局,本書の書名もギルフォード博士自身が会長講演に付けたタイトルをそのまま使うことにしました。さらにもっと詳しいギルフォード自伝は,1967年に出版されたことのあるものからの転載(『A History of Psychology in Autobiography』第5巻,169-191 ページから)と,冒頭に述べましたその続編によって構成されています。
 そして,ギルフォード博士の「Intelligence Education Is Intelligent Education 」という論文も掲載しました。これは,ISIE誕生のきっかけとなりました,日本の知能教育学会の1977年次全国大会での来日記念講演であります。博士のこの論文をお読みいただくとわかりますように,まさしくこれはISIEのスタートにふさわしい講演の内容です。また,そのままISIEの会長就任の記念講演にもふさわしい内容でありました。
 さらに,ギルフォード博士の最晩年における知能構造の拡張モデルに関しては,特に本書の読者の方々にとって関心の強い事柄と思われますので,2つの論文を掲載することにしました。その1つは,1986年の秋から1987年の1月ころの間に書かれたと思われるもので,ギルフォード博士が知能構造に関しての総まとめの意味で書いた論文であります。もう1つは,知能構造の拡張モデルについて簡潔に述べられている,いわば最後に公にされた論文(『Educational and Psychological Measurement』1988年,48の1〜4ページに掲載)と言えるものです。最後に拡張されたモデルは,知能構造における記憶のはたらきが2つに分けられて,180の知能因子で構成されているものです。
 晩年に近い,特にこの数年においては,視力の減退や心臓発作等の病気で入退院の繰り返しをしながら,ギルフォード博士は論文の執筆を継続し,最後まで学術研究者としての長い生涯を全うされました。そうした博士の良き伴侶として,また研究の良きパートナーとして,60年以上の長きにわたって博士ともども心理学者の研究生活を送ってこられたギルフォード夫人による博士の思い出を語っていただきたく,私どもは厚かましくも要望致しました。しかし残念ながら,夫人には高齢のためばかりでなく多忙な時にあるために,1人娘のジョァン・S.ギルフォード博士が代わって引き受けてくださいました。文才のある珠玉の執筆を載せることができましたことは, 本書の編集と出版に携わる者のさらなる喜びであります。
 合わせて,ギルフォード夫人の編纂による「Bibliography of J. P. Guilford」(ギルフォード著作目録)も掲載しました。これは最初,ギルフォード教育研究所に対して,博士自身から寄贈された“ギルフォード文献コレクション”に添付されてきたリストです。同研究所は,3年前の第4回ISIE東京大会の開催を記念し,また同時に日本における知能教育研究開始20周年を記念して設立された機関です。当時,このコレクションの日本到着とその目録の出版を東京大会の開催に間に合わせるべく,ギルフォード夫人が短時間に無理を押し切って完成させてくださったものです。今回, それを土台にして修正を加えた目録を掲載しました。
 最後に,ギルフォード博士の書簡集も掲載しました。これらは,ISIE会長としてのギルフォード博士がISIE日本中央本部に宛たものばかりですが, すでに述べましたように, これらの手紙によってギルフォード博士の人柄が偲ばれることは言うまでもありません。また, 知能構造研究に関する資料(例えば博士が入退院の相前後でもいかに論文執筆に勤しんでいたか,またはいつごろどんな論文を執筆していたかなどが理解できるもの)としても意義があると言えましょう。合わせて,ギルフォード夫人の手紙についても,博士の逝去後のようすや思い出を知ることのできる,貴重な資料ともなりますので,掲載させていただくことにしました。
 本書は,本来ギルフォード博士の存命中に出版されなければならないものでした。しかし,冒頭に書きましたように,この学会の10周年と第5回ISIEシアトル国際大会を記念する出版物にするために,今日に至ってしまいました。
 もう1つの記念品として,ISIE第3次日本代表団が1988年の夏に渡米する機会に,ギルフォード博士のブロンズ製胸像を日本側のギルフォード教育研究所から寄贈することになりました。設置の場所は,ギルフォード知能構造論の誕生の地である南カリフォルニア大学に,博士の遺族からの寄贈によって常設されることになったギルフォード・ライブラリーと一緒に置かれることになります。
 そのための除幕式が,第3次日本代表団のカナダ・米国西海岸視察旅行における最後のイベントとして,1988年の8月8日に南カリフォルニア大の教育図書館において挙行され,そしてまたこの本は,その除幕式のための記念出版という意味も持つものであります。
 ギルフォード博士の霊に謹んでご報告し,本書をその霊に捧げます。